【カラー化】デパートガール(大正~昭和初期)※概要欄も参考に。Shop Girls in Department Store about 90 years ago
1:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

【カラー化】デパートガール(大正~昭和初期)※概要欄も参考に。Shop Girls in Department Store about 90 years agoって動画が話題らしいぞ

2:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

話題話題

3:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

storia cafe死亡フラグか・・・?

4:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

いまきた 説明文ないの?

5:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

なんでこんなに伸びてんの?
再生回数:13173
高評価:299
低評価:
投稿日:05/12 04:11

ちな05/12 04:11時点での情報ねwww

6:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

昭和で検索したら上の方出てきた

7:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

最近昭和系のつまらない動画増えてるからな

8:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

1回見たら満足しちゃったなあ

9:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

おつおつ

10:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

低評価wwwww

11:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

こういうのってカワイイpettvとかがパクると急上昇なんだよな

12:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

storia cafeの動画は良作が多いな

13:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

強引に行ったw

14:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

昭和で23とか荒れ過ぎわろwww

15:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

昭和で【カラー化】デパートガール(大正~昭和初期)※概要欄も参考に。Shop Girls in Department Store about 90 years ago出てくると思わなかったわ

16:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

わんこおつ

17:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

This is description

大正時代に「今日は帝劇(=帝国劇場)、明日は三越」というキャッチコピーが生まれ、デパート(百貨店)は、庶民が贅沢な休日を過ごす場所となりました。

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【デパート(百貨店)について】
デパートは、大きく2つに分けて「呉服系(三越、高島屋、大丸など)」と「電鉄系(阪急、東急など)」に分類されます。
→戦前の日本初のデパートは呉服系から始まりました。

※電鉄系のデパートは昭和4年の梅田「阪急百貨店」が日本で最初であるとされています。

・戦前からアメリカの影響を受け、百貨店の別名「デパート」という言葉も庶民に浸透していました。

・白木屋は、三越と並んで戦前を代表する呉服系のデパートです。戦後、東急百貨店に吸収され、現在は名前が残っていません。

・エレベーターガールは上野松坂屋が発祥と言われています。当時は「昇降機ガール」と呼ばれました。

・エレベーターの操作は元々手動で難しく、男性が行っていました。
徐々に操作が簡易になるにつれ、女性にフロアの案内係を兼ねて、運転を任せるようになり、エレベーターガールが生まれました。

・ショーウィンドウのような平面の大型ガラスは、戦後にイギリスの会社が「フロート法」という製造法を発明するまでは日本での生産が困難だったため、輸入に頼っていました。

・デパートは、ファッションショーや、少年音楽隊など、海外の流行や情報を先取りしていました。
→「宝塚歌劇団」も、阪急創業者の小林一三(いちぞう)が、三越デパートの音楽隊から着想を得たところから生まれました。

・デパートの食堂や屋上遊園地は、来店客が百貨店内に滞在する時間を長くするための仕組みです。
長時間の滞在で、たくさんの買い物をしてもらいたい、という狙いがありました。

【日本統治時代の朝鮮や満州、台湾にもあった百貨店】
朝鮮や満州には、丁子屋(ちょうじや)、平田・三中井(みなかい)・三越・和信(わしん)があり、「五大百貨店」と呼ばれていました。

一方、台湾は、台北市の菊元(きくもと)百貨店、台南市のハヤシ百貨店が有名で、「南北二大百貨ビル」といわれました。

【エピソード】
阪急百貨店の開業時は、昭和恐慌の頃だったため、貧しいサラリーマンが大食堂にライスだけを注文して備え付けのウスターソースをかけて食べる「ソーライ」という食べ方が流行り、百貨店を悩ませました。
しかし、阪急創業者の小林一三(いちぞう)は、彼らの将来を考えて、逆にこれを歓迎する姿勢を打ち出し、「ライスだけのお客様を歓迎します」という貼り紙を出すよう指示しました。

やがて時代を経て、当時の貧しいサラリーマンも家族を持ち、役職も上がり、困窮していた頃に助けられた若い頃の思い出を胸に、阪急百貨店の大食堂にお礼に訪れてくれたという、エピソードが残っています。

#百貨店
#デパート
#カラー化
#戦前

18:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

>>17 おつおつ

19:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

>>17 おつかれ。いつもありがと

20:名無しさん@お腹いっぱい?2023.06.15(Thu)

>>17 ありがとう

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